若葉マークビジネスマン奮闘記

英会話に自信がもてないまま海外赴任決行! 英語の問題もさることながら、ビジネスを成功させられるか、生活は大丈夫かと不安でいっぱいのあなたも、これを読めばきっと安心。成功できるヒントが探れます。

イラスト/渋谷花織

USA
T・Oさん(50代・金融)
銀行で海外とは全く関係のない国内融資の仕事を担当していた20代後半のときに、アメリカでの研修を“突然”言い渡されたのが海外赴任の始まり。その後。シンガポールとロンドンに赴任し、資金為替業務につく。現在勤めている金融機関の会社は、従業員3分の1がネイティブという環境。

Vol.1国内営業一本で頑張るつもりが、アメリカへ…

銀行から「アメリカへ行け」と言われるまで、海外にまったく興味がなかった私。海外旅行の経験すらありませんでした。
英語についてもしかり。持っていた資格は英検2級のみ。当時はTOEIC®の必要スコアもなかったし、まったくダメでした。そもそも銀行には英語を必要としない部署もたくさんあるし、私自身は国内営業一本で頑張るつもりだったのです。突然アメリカ研修を言い渡されてから出発までの2カ月間、日中は銀行でのディーリング研修、夜は英会話学校に通うことになりましたが、英会話が上達したとは感じませんでした。

そんな状況でしたから、最初に降り立ったシカゴの空港でのイミグレーションでの質問は全くわからず……。それでもなんとかクリアーし、空港のトランジットホテルにチェックイン。部屋でほっとしてTVをつけたら、また英語が追いかけてきて、そのときは何とも言えない気持ちになったものです。むしょうに日本語が話したくて、当時とても高額だった国際電話をホテルから日本へかけた記憶があります。おまけに疲れ果てて寝て起きたら、翌朝は寝坊して搭乗する飛行機に乗り遅れるという始末。本当に散々でした。

しかし、すでにここは海外。もう日本には戻れません。あわてても仕方がないと思い、もともとは学生寮に滞在予定でしたが、すぐにホームステイに変更。昼食時はみんなで食事に行ったり、ホームステイ先ではホストファミリーと買い物や食事を共にしたりして、意味がわからなくてもいいから、英語の環境下に自分を置くことにしました。当時はインターネットもメールもなかったので、日本語とはいい意味で遮断されていましたね。

研修スケジュールは、最初の3カ月間は語学学校での英語研修、その後の5カ月間はニューヨーク支店での業務研修というもの。支店にはたくさんの派遣行員がいて、さながら日本のオフィスみたいでした。が、幸いにも私の研修部署には外国人がたくさんいたので、日中はもちろんアフター5など、彼らと接している機会をできるだけ多く作っていました。すると、最初は全くちんぷんかんぷんだった英語にもかなり慣れて、アメリカに来て4~5カ月後にはだいぶ聞き取れるようになったのです。そのころには通勤時にWall Street Journalとドーナツを持って、恰好だけはNew Yorker気取りでした。

私が得た教訓
泣いてもわめいてもここは外国。すぐには日本に戻れないのであきらめが肝心。現地の生活習慣にどっぷりとつかり、外国人と接する機会を増やして、英会話に磨きをかけるべし! 結果は必ずついてくる!

T・Oさんの体験談はこれからも続きます。どうぞお楽しみに!